ケラ美術協会の榊健さんとこどもあとりえ

 京都・北白川の榊健さんのお宅を訪ねた。
 榊さんは1960年代、京都芸術大学在学中に若手の美術グループ、ケラ美術協会の活動に最少年で参加。
 反主流の独自の美術創造に取り組んだ。


 榊さんとは以前から面識があるが、現代美術作家であるぐらいしか知らず、そんな詳しい経歴はまったく知らなかった。
 それが、榊さんから「昔の作品が出ている」と現在、京都市美術館で公開している
反・官展/反・画壇の系譜 京都美術地誌案内」のチラシをいただき、
 見に行ったところで初めて、ケラ美術協会の活動やメンバー、当時、20代前半の彼らの活動がどれほどインパクトを与えたかなどを知った。
 ケラ美術協会は京都芸大の日本画の学生・卒業生が中心となったグループだが、日本画の顔料などにこだわらない素材を用いた表現に取り組んだ。
 榊さんも平面から出発し、立体も手がけ、その立体作品は後年、ミニマルアートの文脈からも評価され、
 国立国際美術館に収蔵され、グッゲンハイム美術館にも展示された。
 ひぇ〜、そんな方だったのかぁ〜
 しかも、榊さんが現在お住まいの家は、ケル美術協会のメンバーで移り住み、一種の芸術コロニーのようなものを作っていた場所で、そこにただ一人ずっと住み続けてきたこともわかった。
 こりゃ、一度、お邪魔しなくてはと行ってきたわけだ。


 建物はすべてケラのメンバーによる手作り。
 今日は小学生たちでいっぱいだった。
 榊さんはここでほぼ四半世紀、こどものための美術教室「こどもあとりえ」を主催している。
 美術教室といっても、遠近法やデッサンなどを教えるのではなく、
 子どもたちに大まかなテーマを与えて好き勝手にやらせて、横からときどき榊さんが助言するという形式。
 絵も描くし、絵本もつくる。
 クロッキーもやるし、アクションペインティングもする。
 ギターや凧も作る。
 山登りもする。
 建物のすぐ裏の山肌には、子どもたちが立てたツリーハウスや基地といったほうがぴったりくる小屋が数棟立てられていた。
 ダイナミックなことやっているんだね。


 グループとしてのケラの活動は実質5年足らずだったようだ。
 アメリカに渡ってアーティストとなったメンバーもいれば、
 中学、高校、大学で美術の教員となったメンバーもいる。


 「私は作品は少ないんだよ。絵をやるなら、寝ても覚めても絵のことしか考えられないようでなくてはダメなんだ。僕は飽きっぽいから」と榊さんは言っていた。
 芸術をやるには、狂気のようなものがなければというニュアンスだと感じた。
 そういう言い方に時代性を感じた。
 ご本人の中では芸術家として、自分は何者かとなる地平まで届かなかったという思いがあるのかもしれないけれど、
 若き芸術家たちが闇雲に新しい表現を探し求めた場所で
 体制的な教育とは無縁のやり方で、子どもたちに自由な創造の楽しみをこれだけ長い年月提示してきたことは
 60年代の革新的であろうとした表現運動の、持続する良質な成果として評価していいだろうと僕は思う。